自殺を図るとこうなる体験談
新年度でしたね♡
今日のタイトル、エイプリルフールではありません(笑)。
2/1に「死にたい」という記事を書きましたが、実際にそのあと自殺未遂を起こして病院に運ばれました。
なんかもう全部が嫌になってしまって、楽になりたいと思ってしまったんです。
死ぬ時は練炭一択と決めていましたが、首吊りも場合によっては遺体の状態がひどくはならないという事を知ってから練炭以外の可能性も考えるようになっていました。
衝動的に電車に飛び込んだり車道に飛び出したくたくなる時もあるし…。
なので、無意識に選択肢が増えていたんだと思います。
わたしは普段から薬の量を自分の状態に合わせてコントロールしていたので、
薬が結構あまっていました。
それでヤケになってあるだけの薬を飲んでしまって…
遺書も何も残さなかったので、飲みながら出先の母にわたしの荷物を全部捨ててほしいとLINEを送りました。
家には祖母がいましたが、
もう高齢なので少しですが去年から痴呆が入ってしまっていて耳も聞こえなくて。
わたしは"一人にさせないように"と自分の部屋に入れなくされてからずっとリビングで過ごしているのですが、祖母はわたしが何をしているのか当然分からず…。
外出先からすっ飛んで来た母親に口の中に指を突っ込まれた事は覚えているのですが、それ以外はサッパリ。
母曰く集中治療室のようなところに運ばれて、どのタイミングか分かりませんが警察の方が来てわたしに話しかけたそうです。
でもわたしが話せる状態ではなかったため、代わりに母が色々聞かれたと言っていました。
警察官の制服って結構インパクトありますが、話しかけられたなんてまったく記憶にないんですよね…。
起きたら病室で、ベッドの上でした。
わたしは死ねませんでした。
と言うのも、飲んだ量もあるけれど飲んだ薬が薬だったから。
あるだけの薬と言っても何百錠もはなかったし、何より睡眠薬に至ってはマイスリー 。
入眠剤だけあって、大量に飲んだらすぐに気を失ったけれどその日の夕方には目が覚めていました(わたしが自殺を図ったのは朝)。
さすがよわっちい薬だけある(笑)。
マイスリー でODしても半日で目覚める事を学びました…。
わたしに残されたのは、死ぬ事が出来なかったという落胆だけではなく
病院の請求書と自殺未遂を起こした事実。
数日後に警察から連絡があって、その後自宅に「出頭依頼書」が送られて来ました。
出頭って…(笑)。
犯罪者じゃないんだから。
でも笑い事じゃなく、書面が届いたので仕方なく行きました。
警察署じゃなく運転免許センターに。
この出頭依頼書、何のための書面かと言うと
簡単に言うと
免許を持っていていいのかどうかを知らせるためのもの。
なのでいつも免許の更新をする所へ行って、おまわりさんから質問を受けて…。
最後に精神科の先生に書いてもらう書類をもらっておしまい。
自殺未遂を起こして運ばれた事がある方はご存知かもしれませんが、免許を持っていても大丈夫かどうかを医師に確認するためのものでした。
書類はこの前の診察の時に渡しちゃったから手元にないけど、OKだった場合でも"●年後に再診の必要あり"というように細かく設定されていました。
次にクリニックに行った時に先生から受け取って郵送で面談をした先に送る事になっています(期限は警察官と面談をした日から3ヶ月)。
自殺を図って本当に死ねたらそれでいいけれど、死ねなかった場合は高い病院代と苦労して取った免許(とそのゴールドカード)、時間や労力…沢山のものを負担してまた生きていかなければいけない事を知りました。
その瞬間は死にたい一心だったしどうにでもなれと思ったけど、
どうにでもなれだなんてもう思いたくないです。
なぜならば、
病院代が高すぎる
から。
わたしの諭吉さん…。