ココロのトリートメント

境界性パーソナリティを患っているブログ主の闘病ブログ

誰のせいでもない

祖母と喧嘩をしました。

 

たまにするんだけど。

 

ささいな事で喧嘩になって、

祖母から「この売れ残りが」という言葉を浴びせられました。

 

喧嘩になるとよく言われるんですけどね。

 

今日は何か我慢出来なくて、

初めて二度と言わないでくれと怒鳴ってしまいました。

 

殴られたから両手首もつかんでしまった。

 

わたしのせいでこうなったんじゃない。

好きでこんな風になったんじゃない。

わたしが一番結婚したいし幸せになりたい。

それが出来ない事が、

自分が原因を作った事でこうなってしまったわけでもない事で出来ない事が、

とれだけ悔しくて悲しいか。

 

今までの事。

治療してもしても変わらなかった事。

 

沢山思い出してキレてしまいました。

 

そして頭も殴りました。

 

頭が痛い。

 

なぜ殴るのか。

 

やるせないからです。

 

死にたいのに死ぬ勇気もない、

そんな人間だから時間を垂れ流す様に毎日生きてしまってる。

 

頭を殴りながら、

自傷する人や希死念慮のある人達の「死にたい」は「生きたい」と同じだと言う言葉を思い出して本当かなと思いました。

 

違うんじゃないかな。

 

生きたいんじゃない。

死にたいのに死なない事が許せないんだよ。

 

そんな単純な事じゃないんです。

 

祖母は普段はとても優しい人です。

 

本当に優しくて、

いい人です。

 

「いい人」ってこういう人の事を言うんだろうなって感じる様な人。

 

でも祖母はひとたび怒ると、言ってはいけない言葉を言ってしまう人です。

 

相手が傷付くと分かっていて、

一番傷付く言葉を言います。

母もそう。

 

わたしがいつも恋人に対して言ってはいけない事を言ってしまうのを抑え切れないのは、

この二人にそっくりだったんだと今日気付きました。

 

て事は、

わたしが子どもをどんなに欲しかったところで

産まれた子どももきっとそんなわたしに似るんだと思う。

 

わたしは、

わたしの代でこの魂の不幸なリレーを終わらすために来たのかも知れないと思いました。

 

でもそれだったら、

「子どもは別にいなくてもいい」と思える様な人間だったら良かったのになと思います。

 

結婚して子どもを産んで、

お父さんがいてお母さんつまり自分がいて子どもがいて、

贅沢じゃなくてもごく普通の家庭を築きたいという

自分がそんなささやかな夢を持つ様な人間じゃなかったら良かったのにと思いました。

 

自分はもう売れ残りで未来がない。

 

こんな自分を受け入れてくれる人なんていない。

 

一生家族の面倒を見て

労働に支配されて生きて行く

 

自分が一番よく分かってる。

 

でも絶対に認めたくない。

 

まだ幸せを諦めていないちっぽけなわたしがいるから、

傷付いたり怒ったり、

失望したり絶望したり悲しんだりするんだと思います。

 

幸せになれず一生一人で生きていく事に対して、

「いつか吹っ切れる日が来る。大事なのはそれまで生き抜く事」

と主治医が言いました。

 

わたしにとって幸せは来ない認定をされた日でした。

 

自分が思ってる以上に

自分はもう本当に終わっているのかも知れないと思った日でした。

 

ボーダーだから

恋愛が上手く行くのは最初だけ。

 

みんな最初は熱烈に好きになってくれる。

 

でもみんな逃げて行く。

 

自分が悪いのは分かってる。

 

治したい変えて行きたい。

 

でも変えられない事に自分が一番苦しんでいます。

 

男の人達は逃げたら関わらなくて済むんでも、

わたしは人を変えては同じ事を繰り返すこんなわたしと

いつもこれからも一緒にいなきゃいけないからです。

 

ただ悲しくて、

言葉になりません。

 

成育環境で精神疾患になったのって、

ほとんど先天性と変わらないですよね。

 

先天的なものでも後天的なものでもいいから。

同じだから、

変わらなければ。

 

だからもう、

これはこういうものなんだって、

自分は病気として生まれて来たから仕方がいんだって、

諦めればいいのに。

 

頭を殴っている時、

夏に花瓶で頭を殴った時に元彼に言われた

「花瓶で頭を殴った?笑わせるなよ」

「死ぬって言うんだったらじゃあ死ねよ」という言葉を思い出しました。

 

おかしいかな?

そんなに面白いかな?

笑わせるなよって言うくらい面白い事なのかな。

 

本人はね、

辛いんだよ。