ココロのトリートメント

境界性パーソナリティを患っているブログ主の闘病ブログ

生い立ち - わたしが産まれるまで -

今日からわたしの生い立ちや

境界性パーソナリティ障害という

病気の発症、

診断を受けずに生きていた頃、

そして

病名が付いてから今までと

今現在の治療過程を綴って行きます。

 

 

まずは生い立ちから。

 

 

わたしは父親のいない家で育ちました。

 

父親はわたしが産まれてすぐに出て行った

(祖母と母で追い出した)そうなので、

正確にはわたしの生後数ヶ月は

家にいたみたいです。

ただ物心ついた時にはもういませんでした。

 

 

だからわたしは、

「"お父さん"がいる世界」を知りません。

 

 

父親は婿養子でした。

 

父親だけでなくその母親

(父方の祖母になりますね)が

一緒に暮らしていたそうです。

 

理由は旦那が早死にした事と、

わたしの実父が長男だったから。

らしいです。

 

 

元々母が結婚した理由は、

今で言う授かり婚でした。

 

祖母はわたしの実父を見て

上手く行かないと考え大反対して

娘であるわたしの母に

わたしの事を堕ろすように

何度も言いましたが、

「出来たものは産む」と

母が言い張り…

わたしは産まれる事になりました。

 

 

しかし祖母曰く

わたしを妊娠中の頃から

母のヒステリーが起こり、

父親と度々喧嘩をするように。

 

一度父親が母親に手を上げたそうで、

偶然それを見た祖母はキレて

この男を蹴り上げたそうです。

 

なぜ祖母が蹴り上げたのかって?

 

家にお金を入れず、

家賃を祖母に払わせていた上に

女房に暴力を振るったからです。

 

わたしの実の父はクズ以下の人間でした。

 

もっとクズだったのはその母親。

 

息子が義理の母の世話になっている上に

婿入りした先の嫁に手をあげても、

何も言えずに黙っている様な

人間だったそうです。

自分も祖母の払うお金で

家に住まわせてもらっていた分際で。

 

まぁ祖母がクズ男を蹴っても

何も口出ししなかったようなので、

さすがにそれくらいは

良識のある人間だったようですが…。

 

 

ちなみに母のヒステリーは

妊娠中に始まったとの事ですが、

わたしは違うと思っています。

 

何故ならば、

母もまたボーダーだから。

 

それまで他の男性と

まともにお付き合いを

出来て来れたとは思えません。

 

ボーダー特有の突然キレる、

キレたら手が付けられないという

ヒステリーは間違いなく

もっと前からあったはずです。

 

 

実父は生活のお金だけではなく、

なんとわたしの出産費用まで

持って来ませんでした。

 

出産費用を出したのは誰か。

 

もちろん母方の祖母です。

 

家賃まで払わせて来て

挙句に出産費用まで

義理の母に出させる。

実父もですがその母も、

揃いも揃ってクズ親子…。

 

 

祖母が出産費用を出してくれて、

無事にわたしは

産まれる事になりました。

 

悪夢の始まりです。

 

少なくともわたしにとっては。

この世界に

産み落とされたわけですから…。

 

 

父親が生活費を家に入れなかった理由は

働いていなかったからでもなければ

身体が弱かったわけでもありません。

 

理由は見栄っ張りだったからです。

あとはお酒。

 

営業で稼いだお金は

見栄を張って後輩に奢って消えて行く。

 

生活費に充てれるお金はなく、

義理の母であるわたしの母方の祖母に

寄生していました。

 

本当に最低。

 

祖母が払ったお金を返してほしい。

 

わたしが曲がりなりにも血の繋がった

実の父親であるこのクズ男に関して、

どこで死のうが

野垂れ死のうが何とも思わない

一番の理由ですね。

 

 

わたしの人生は、

こんな人間の血が自分の中に

流れている、

どんなに自分が頑張ったところで

その事実からは一生逃れようがない

虫酸の走るような嫌悪感と

たとえ血は繋がっていても

自分は父親とは違う人間だからという

プライドとの戦いでした。

 

親と自分を切り離して考えられないのは、

親に依存している証。

 

親は親、自分は自分であるという事を

カウンセラーの先生に教えてもらい続けて、

やっと強い嫌悪感を持たないまでに

なる事が出来ました。

 

でもまだわたしは、

この記事を読んで頂ければお分かりの通り

実父の事を嫌悪しています。

 

本当に嫌悪感を手放せた時は、

どうでも良くなるんですよね。

気にならなくなる。

クズ男という言葉が出る時点で

まだまだ「意識している」という事に

なってしまいます。

 

 

ちなみに、

父親を憎んでいるという方。

 

お父さまの事をもし

カウンセラーに話すとしたら、

あるいはブログに書くとしたら、

何と表現しますか?

 

もしも「あの男」という呼び方しか

使わないのであれば、

それはかなり憎んでいると言えます。

 

「父親」という言葉が出るようならば、

残念ながらそれなりに

絆は感じている事になります。

「父親」と言えるのは、

親子としての表現が出来る程には

親子だという事実に嫌悪感がない

という事になりますからね。

 

わたしもこれでも、

だいぶマシになりました。

 

以前は憎らしくて仕方がなくて、

その分意識してしまっていたので…。

 

 

「父親!?気持ち悪い!!」

と感じる方がもしもいたら、

気持ち悪いのは父親ではなく自分自身です。

 

人は自分の事を

「気持ち悪い」と嫌っている時、

外の世界に気持ちの悪い人を作れば

自分が一番気持ちの悪い人間に

ならなくて済みますから。

 

これは他の事でも当てはまります。

 

 

父親が

「気持ち悪い」

「生理的に無理」。

 

これらは

思春期の女の子が持つ感覚ですよね。

 

お父さん臭い、

汚い、

気持ち悪い。

 

生理が始まって臭い、

汚い、

気持ち悪い自分の事を守るために

持ち出して来る考えですね。

 

 

わたしもそうですが、

父親不在の家庭で育った場合

女性としての成長が思春期のままで

止まってしまう事が多くあります。

 

それはまた改めます。

 

 

生い立ちに関してはざっとこんな感じです。

 

事実に感情を混ぜてしまったので、

読みにくかったらすみません。

 

感情を混ぜるんだったら

小説風にした方が

読みやすいのかなぁ?(笑)

 

 

次回は幼少期です!