ココロのトリートメント

境界性パーソナリティを患っているブログ主の闘病ブログ

「境界に生きた心子」と諦め

同じブログのランキングサイト

(日本ブログ村)に登録されている

色々なブログにお邪魔しています。

 

まだ拝見出来ていないブロガーさんも

いるけれど…。

 

その中で、

興味深いブログを見付けました。

 

今回の記事タイトルの通り

「境界に生きた心子」「境界に生きた心子」 - Yahoo!ブログ

です。

 

このブログは、

ボーダー患者本人が書かれているのではなく

境界性パーソナリティ障害を

患っていた恋人の心子さんを

亡くされた方が発売された書籍、

そしてそれを元にしたブログです。

 

前からタイトルで気になっていたのですか、

昨日から初めて読み始めました。

 

ボーダーの方のブログはいくつも

読んで来たし

何より自分自身がそうなので

もうこれ以上何を知る事があるのかと

いうくらい

(あるとしたら有効な治療法が知りたい)

分かっていますが、

第三者目線の物語を読むのは

大変新鮮です。

 

境界性パーソナリティ障害の事を

知らない方、

何もなくしか分からない方に

是非読んで頂きたいと

真剣に願います。

一人でも多くの方に

この本が届いて欲しいですね。

 

わたしはこのブログで

一人でも多くの方にこの病気の事を

知ってもらいたかったですが、

自分がブログなんかしなくても

この方のブログさえあれば

もう十分も十分なのではないかと言う程

様々な事が網羅されています。

 

文献なども相当読み込まれていますね。

まだほとんどの記事に

目を通せていませんが…。

 

翻って、

自分に関して言えば

最近はもうこの病気は

治らないのではないかという風に

思い始めています。

 

「治らない」ではなく

「治せない」が正しい表現でしょうか。

 

「境界に生きた心子」にも

ありますが、

ボーダーは愛情の飢餓状態とも言える病です。

 

もらってももらっても足りない。

その愛情が自分の思う通りの

ものではなかった場合、

99%というのは0と同じなのです。

 

でも完璧な愛情なんて

この世には存在しませんから。

 

完璧な愛情を絶え間なく

注ぎ続けてほしいという理想も

ただの幻想です。

 

しかしBPD患者にはその事が

耐えられません。

 

「飢餓」という表現ほど

ぴったりな言葉はありません。

そのくらい、

飢えているのです。

貪る様に手にしようとしても

相手は親ではなく

自分も子どもではないので

満たされる事はありません。

 

わたしは自死自体を否定しないため

心子さんの死を否定する事も

もちろんありませんが、

この病がもし良くなる病であるならば

何故彼女は夜明けにホテルの最上階から

宙を舞わなければ

ならなかったのでしょうか。

 

そこまでなるまでに、

何か手立てはなかったのでしょうか。

 

彼女に施された治療が

適切ではなかったのでしょうか。

わたしはそうは思えません。

適切な治療なんて存在しないのではないか。

 

この考えを強化させる事が

残された心子さんの恋人である

このブログ主さんの本意では

ない事は分かっています。

 

しかもわたしには、

この本に書いてある通り

この病を抱えて生きる事がまた

「茨の道」である事も理解しており、

何のためにそこまでして

生きてるのかという事に対して

疑問を感じています。

 

そして一番の問題というのはきっと、

亡くなる直前の心子さんの様に

「希望が持てない」事だと思います。

 

BPDは、

デフォルトの症状として

うつ状態があり、

また躁鬱病と症状が似ています。

 

何度もこのブログに

書いて来ている事ですが、

使う薬も似通っている。

違うのは躁鬱病とは違って

ボーダーは同じ薬を使っても

薬自体が効きにくいという事。

 

基本的には慢性的に空虚感があり

とにかく退屈ですが、

躁鬱病の躁状態の様な時は

極めてテンションが高く

まるで自分は何者にでもなれると思います。

 

そこから現実に戻った時に

うつも躁鬱もあれもこれも

盛り込まれたフルコースの様な

病気であるという事を思い出して

絶望します。

 

「境界に生きた心子」

読み進めてみようと思います。